たるちるの尾巴
奈良に生息するおばちゃんの日記です。
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今日で1年
2014-10-21(Tue) 23:16
相変わらず放置気味のブログ。

今日で父が倒れて1年です。
早いような、いや、まだ1年しか経っていないのだ、という思いが強い気がする。
でもよくぞここまで回復したものだ。

おかげさまでなんとか自宅で生活できている。
母に多大な負担がかかっているのは分かっているのだけど
なかなか力になれていないのが申し訳ない。

訪問リハビリ、デイケアなどを介護保険で利用。
じきに認定調査があるだろうけれど今度はかなり軽くなるはず。

1年経って残念?なのは体力がなかなか回復しない。
とにかく疲れやすく何をするにも休憩がたっぷり必要。

まだまだ先は長い。まだまだよくなるはず。頑張ってもらわなきゃね。
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煙草 この憎いブツよ
2014-08-19(Tue) 19:39
自宅に戻ってきてホッとした父。
家の中をひとしきりチェックするとやはり外に行きたがる。
入院中から薄々わかっていましたが、この外に出て行きたがる原因は煙草でした。

入院してからの記憶がほとんどないということは禁煙していたという記憶もないわけで…。
一種のニコチン中毒のような状態だったのだと思います。

大病、しかも脳血管系なので煙草はよくない。
でも禁煙の方向に持って行かなかった(いけなかった)のは
煙草を吸うと父は…。
外にも出たがらない、暴言を吐かない。おとなしく機嫌も目に見えて良くなる。
ピリピリしていた母と私は、なあなあで煙草を許していったのです(泣

なんと退院して次の日には「1日3本まで」と約束させ一緒に煙草を買いに。
タール1ミリの煙草をとりあえず1箱だけ購入。

でも問題は歩き煙草とふらつき。

外に出るときは必ず付き添うのですが、
元気なときはしょっちゅうしていたようで無意識に煙草を出し火をつけます。
そして手に持ったまま吸うのを忘れてしまっていたり。
何度注意してもなおりません。人に迷惑かけてはたいへん。
私が怒って口にくわえた煙草を取り上げたときには鬼の形相で怒りだしました(怖い)

そして煙草を吸い終わったあと足がふらつくこと。
ベランダから部屋に戻る小さな段差すら上がれない始末。
それでもやめないお父さん。全然目が離せません。
ふらつきは1か月後にはほぼなくなりました(ホッ)

約束の3本もぜんぜん守れなくて
ベランダで吸う、という約束も守れず、、。
母とよってたかって口うるさく注意し続ける。

服のポケットやカバンの中、あらゆるところにライターを隠し持つ(もとから沢山持っていた)。
煙草の本数を誤魔化すため煙草を隠しもつ。
すぐバレるような小学生並のことしかしませんが結構腹立つんだこれが。
電子煙草も2~3種類試しましたが本物にはかなわないようで…。

そして、この日記を書いている8月現在は、
煙草は1日10本以内、歩き煙草はしません。ベランダか出かけた先の喫煙所で。
散歩には携帯灰皿持参で休憩がてら座って吸います。
本数はともかく約束が守れるようになりました。
煙草も食後や一息ついたときなど決まったときに吸うようなリズムができています。やれやれ。
自宅へ
2014-05-19(Mon) 20:36
退院勧告されればもう仕方ない。

私も職場には状況を話してあったのと丁度仕事量が減っている時期だったので
思い切って1か月休みをもらうことにした。

ずっと父が望んでいた通り車で迎えに行く。
父と母、そして私の3人で病院を出る。母と私はこれからどうしようという不安を抱えて。

退院したのは土曜日だったので会計ができない。
後日支払いに来てくれたらいいと言われた。そうまでして出て行ってほしかったのだ。
怒涛の
2014-05-19(Mon) 20:24
激しく病棟で迷惑をかけまくっている父。
追い出される恐怖を感じつつ…。

ソーシャルワーカーさんが紹介してくれた老健へ行き話しを聞きに行くこと3件。
とにかく不安なのは父が勝手に抜け出して徘徊すること。
これを重点的に施設の説明を聞くのだけど…、
わかったのは完全に出入りをコントロールしているところはない。
エレベーターが暗証番号で開閉ってところもあったが見舞客に紛れたら
わからない。

完全に出られないところ、といったら最終的には閉鎖病棟しかないのだ。
これには担当の看護師さんが反対した。父の尊厳はどうなるのか、ということだ。

モタモタ決めかねていると病院からせっつかれる。
それでもなんとか決めたところは入所できるのが2週間先。

結果…病院は待ってはくれませんでした。
日に日に暴言が悪化の父がとうとうイライラして看護師さんに枕を投げつけたのです。
それを理由に「明日退院してくれ」になってしまいました。

ここまで転院してから1か月。地獄のように長く感じたんだけど、短かかった(涙
一時帰宅(1時間だけ)
2014-05-19(Mon) 19:12
のんびり更新のせいですぐに広告表示されてしまう。
慌てて更新する、の繰り返し(笑)

4月末で父が倒れて半年が過ぎました。
実際まだ半年しか経っていないのか~、と思ってしまうほど日々いろんなことがありすぎます(苦笑

回復期リハビリテーション病院での生活は
個別にプログラムされた通りにリハビリがすすむとかなり効果があると思う。

でも父には病院そのものがストレス。
リハビリなんてとんでもない。おぼつかない足で抜け出すことしか考えていない。
それを阻止する人はみんな悪者。

全く言う事聞かないわ、出て行きたがるわで計画変更。
早期退院の想定で脚力強化、体力向上にリハビリは絞られました。
実家は団地なので非常階段を使用して上り下り、長い病棟の廊下をひたすら行ったり来たり。
畳の上に座り立ち上がる訓練、これは帰るため、ということで父も頑張っておりました。

そうこうしているうちにヨタヨタながらもずいぶん歩けるようになってきて
横に人がついていれば外出もできるまでになりました。
そこで一度電車を使って自宅に帰ってみよう、ということになりました。

父の担当のOT・PT・STの先生3人で計画を立ててくれました。

帰宅時自宅までの道を覚えているか、信号は守るか、階段は大丈夫かチェックもしてもらいます。
まだ足はしっかりしていないので疲れたら車いすを使用。
もし病院に戻るのをゴネたらタクシーで戻るということで。

先生方の仕事が終わってからなので出発は15時。
父には時間の観念がないので昼ごはんを食べ終わったら鞄を持って出かける気満々で
何度も看護師さんたちに待つよう言われていた。
片道30分かかるので自宅滞在時間は1時間足らず。慌ただしく出発。
私もくっついて行きました。合計5人。
母は自宅待機。

父の様子は…。
緊張と外に出ることができるということで比較的しっかりしています。
地下鉄で外は見えませんが電車内ではキョロキョロ。
ちゃんと家まで案内できたし赤信号でも止まった。
階段も手すりを使えは大丈夫。
無事帰宅です。
家の中をウロウロ。自分の机の引き出しの中をチェック。
その間に先生は段差、風呂場やトイレなどデジカメで撮影したりで安全チェック。

意外にも時間がきたらすんなり病院に戻るのに応じました。
タクシーを使うことなく電車で戻りました。ヤレヤレです。

これで気が晴れたか、と思いきや、相変わらずの日々。
家に戻れるとなれば退院を考えなくてはなりません。
でも病院での父の様子を見ているととても家に連れて帰って母が見るには無理がある。

ソーシャルワーカーさんに老健を紹介してもらうことにしました。
病院での父
2014-04-08(Tue) 23:18
DSC_0399weq_convert_20140408225747qqa.jpg
机を使用せずベッドで字を書く父

私が見舞いに行くと決まって父は「車で来てくれた?」と聞きます。
「電車」、と答えるとこれも決まって不機嫌になり「どうやって帰るんや!」と絶望的な言い方に。
私も意地悪で「電車のほうが早いし今ガソリン高いねんで」と。

すると自分のノートを取りだし路線図を書きはじめます。
電車に乗って帰る計画を立てるわけですが、行き先が毎度違う(汗
今はもうない岡山の生家だったり兄弟のいる兵庫だったり、退職した職場だったり、
肝心な自分の家じゃないという(汗汗

父が使っているノートってのが、まあ読むと頭の中の混乱ぶりがよくわかる。
日記らしき文章も同じことを何度も書いていたり話があちこち脱線したり…。
よくものを忘れるという自覚はあるらしくよく同じようなことを書き留めていました。

少しでも何もすることがない時間ができると「コーヒー買いにいくわ」とかテキトウなことを言って
フラフラ病棟を出て行こうとします。

母が毎日のように通っていても何とも思っていません。
そばにいるのが当たり前、いちばん母に当り散らしていたし。

このときの父は

くも膜下出血で倒れてからの記憶がないので自分が病気だとは思っていません。
話して聞かせても理解はできないようです。

集中力がない。
テレビも続けてみることが出来ません。
心理テストのようなものもまともに受けることができません。
新聞や雑誌も捲るだけ。

怒りやすく暴言の数々。元気な頃からは考えられないです。

現実の出来事と想像したことをごちゃまぜで話す。


まさに高次脳機能障害の症状そのものです。
いっぱいいっぱい
2014-04-08(Tue) 21:30
母の中で頑張っていた糸がプツンと切れてしまった。
間の悪いことに翌日は母の誕生日。母には不幸のどん底に思えた日だと思う。

仕事が終わってから実家へ。
電話してきてから数時間経っていたので少し落ち着いていました。

後から聞くと母は気が動転していてすぐ病院から出て行ってほしいと先生が言ったと勘違いしていたこと、
高次脳機能障害は治らない病気で、しかも父の性格が変わってしまい看ていく自信がまるでないこと、
病院に見放されたらこれからどうなってしまうのかという不安でどうにかなりそうだったようです。

もし退院となるとケアマネージャーさんを探さねば。
まだこの時点で介護認定は出ていなかったのですが、知り合いの民生委員さんに相談して
ケアマネさんを紹介してもらうことにしました。

病院にはケースワーカーさんもいるしなんとかなるよ、とだけ言い実家を後にしました。
私もあのときは動揺したなぁ。
ショックな勧告
2014-04-08(Tue) 21:16
どれだけ通院で疲れようと夜には家に帰って眠ることができる。
ぐっすりとはいかなくても少しは休まっていたと思う。
母もギリギリでがんばり続けていた。
この頃父のひどいありさまで病院を追い出されたらどうしようという恐怖もあった。

そして16日はリハビリの先生との面談の日。
これははじめから決められていた日程でリハビリの進捗状況など直接家族と話すことになっていた。

母の嫌な予感は的中で、、
父のために扉を閉め他の人たちに迷惑がかかっていること、
リハビリをロクにうけないこと、
あらゆる知恵を使い病院を抜け出すのは時間の問題、
そうなると病院側から出ていってください、と言えること。

リハビリが目的なのに、それができないとなると、ここにいる意味がない。
自宅に帰るか施設(老健)に移ることを考えてはどうかと言われました。
でも施設に移ろうが脱出しようとするのは変わらない、とも。

これを聞いて母は父の顔を見ることもなく自宅に帰り泣いて私に電話してきました。
病院を出て行くことに執着
2014-04-08(Tue) 21:01
隙を見ては出ていこうと歩きだし危ないので母が朝から呼び出される。
転院してからわずか3日目のこと。

センサーも足元だけだったのがベッドの手すり、食事室の椅子と増やされる。
病棟の入り口も夜は施錠して出られないように。

安全対策なのだけど父1人のために恐縮。

母や私がいるときには付き添って10階にある病棟から5階にある庭園に散歩に連れ出したり
1階の売店で買い物したりと気を紛らわせようとするが根本は出ていきたいので
一息ついたらまた出ていこうと試みる。

幸か不幸かエレベーターは2台あり、どちらが上がってくるか判断できないうえにまだ足が弱く
エレベーター前にあるソファに座って待つので扉が開いてから動き出しても間に合わないことが多い。
まあどんな舌打ちすることか(苦笑

守衛さんにもすっかり顔を覚えられ、通過しようとすると止めてくれる。
母や私が止めるともちろん怒りだす。
看護師さんに対してもだんだん攻撃的に。
攻撃的といっても手がでるわけでなく暴言の数々。
出て行くのを止める人はみんな敵だとでも思っているようで目つきも怖い。

じきに軽い精神安定剤が処方され副作用でよだれが止まらなくなり、
いつも首にタオルを巻いて目つきの怖い怪しいじいさん状態。

そのうち私や母がいない時間帯は病棟の扉も常時施錠されるようになり他の患者さんや
見舞客は職員出入り口から出入りしてもらうような状態。

肩身が狭く、なるべく病院に母が付き添うように。母も目に見えて疲れていくのがわかる。
病院から出ることに意識が集中しすぎてリハビリもぜんぜんはかどっていない。

この時期は私や母は、父もはやく脱走を諦めてくれないかなぁ、いつになったら落ち着くのだろう、
ぐらいにしか思っていなかった。

私も仕事が休みの土、日、火曜日は病院へ。
だんだん行くのが憂鬱に感じはじめていた16日…。
ナースステーションの真正面
2014-04-08(Tue) 20:31
個室内を動けるといっても1人ではまだ危ないのでナースコールするようお願いするが
できないのかしないのか、とにかく勝手に動き出す。

いくら動きがゆっくりとはいえ看護師さんが間に合わないので早々にナースステーションの真ん前の個室に移動。
ベッドの足元にもセンサーがつけられる。
そしてこの部屋(どこもかな?)にはモニターがついている。
要注意人物認定だ。

自力でなんとか動けるようになると自分でトイレに行くようになった。
さっそくリハパンから普通のパンツに。

しかし夜中に起きだすだめ睡眠導入剤が処方された。
寝不足だとリハビリもはかどらないのでしかたない。
でもその影響で失禁するように。リハパンに逆戻り。

相変わらず前の病院と同じでリハビリをバカにしてやろうとしない。
歩きたいので歩行訓練だけはまじめにやっている。

足が少し達者になってくると病棟から出て行こうとするようになった。
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